教育に関する話題

2005年05月20日

NPOによるキャリア教育

長浜市の視察の帰り、ほかの議員たちと別れ
以前より興味のあった、名古屋のNPOを訪れた。

NPO法人愛知市民教育ネット(ASK-NET)は
「誰もが先生、誰もが生徒」という市民講師という
仕掛けを用いてキャリア教育を実施している。

学生時代に毎年一緒に「夢現の宴」と題した
全国規模での「がんばっているワカモノ」の忘年会を
企画されていた毛受(めんじょう)さんが代表理事を
務めている。久々にお会いできるかとおもったけれど
さすがに、電波少年もびっくりの突撃アポなし取材は
無理だった。電話して「ざんねーん」と一緒に嘆く。

主のいない事務所にて、今年採用された若いスタッフ
の方~ご説明をいただく。驚いたことにこのNPO、有給の
スタッフが7-8人いるという。説明をしてくれた彼は
会社員からの転職組だ。NPOの運営そのものも大きな
参考になる。

僕自身が先般、日本教育新聞に寄稿した記事は
実はこの活動をはじめとする様々な全国的な
民間主導の教育改革に着目して書いたものだ。

僕たちが高校生だったころ
学校の進路指導室には
大学の偏差値ランキング表しかなかった。
同級生は早慶だったらどこでもいいと
文系学部をすべて受け、受かった学部に入る
なんてのも少なくなかった。
僕が一時期教育産業に身をおいたのは
このときに感じた違和感が原点にある。
自分自身も含め
「もっと進路を考える機会が高校年代にあっても
よかったのではないか」という反省である。
その思いは今も変わらず
むしろ今、地域の活性化と絡めて何らかの
仕掛けができないものかと日々思案している。
この仕掛け作りは、僕自身が当選してすぐに
自分に課した課題でもある。

学校と家庭という二通りの限られた大人との接点では
進路を考える機会は極めてく少ない。
NPOが作り出す新しい「公」はこの場作りに最適だ。
いよいよ、思案の時期から動き出す時期だと
改めて決心。




2005年05月14日

日本教育新聞に僕の記事が掲載

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学校をはじめとする教育関係者の新聞「日本教育新聞」に記事が掲載されました。いいたいことがたくさんあって文字を削るのに苦労しましたが、是非皆さんご一読ください。


【人材流出を食い止める。地域の教育。】
分権時代を迎え「都市間競争」という言葉がよく聞かれる。一方で、都市部への若者の人材流出は止まらず将来に暗い影を落としている。人材をいかに生み、確保していくのか、地方における公教育の根幹はその戦略にかかっている。
 
今必要なのは子どもたちを学校という狭い社会から、地域社会へと解放していくシステムだ。親と先生という限られた大人との人間関係の中で、地方の人材をはぐくむことは難しい。職業人や高齢者をはじめ数々の大人との接点を生み出すプログラムや地域プロジェクトを子どもたちとともに実現することこそ重要になってくる。コーディネーター機能を果たすNPOや地元大学生などの人材の育成と支援のシステム作り、子どもの居場所づくり等は急務だ。

それらの地域の総合力を生かした学びこそ、子どもたち自身への意識付けやキャリアに対する興味につながる。地域における人と人の有機的つながりが生まれ、人材流出を食い止める命綱ともなるだろう。
 
学力低下の問題は確かに深刻だ。水戸市では校長会の要請に基づき、夏休みの短縮などによって授業時間確保に踏み出しているが、効果は未知数だ。
 
塾が基礎学力を下支えするとともに、分野を問わないエリート教育でも大きな役割を果たしている現実は無視できない。退職教職員の活用も考えられる。重要なことは、総合力としての地域や民間の役割を認めながら、「地域の人材育成」の方向性を明確にし、立場を超えて共有することだ。強固な官民連携のもと進める「教育バウチャー制」等による選択可能なプログラムは、新たな地域教育の有効な手段となり得る。

 そのような時代の中で、学校の役割はいったい何か。私は、「ソウゾウリョク」をはぐくむ教育こそ学校が果たすべき責務であると考えている。
 
一つは自立して生き抜くための「創造力」。学年に応じた必要な基礎学力と金銭教育やキャリア教育、IT教育などは新しい取り組みとして必要になってくるだろう。
 
もう一つは他者の痛みを知り共生するための「想像力」。多様な学びを認めることによって子どもたちには違いが生まれる。その違いを認め、ともに社会を構成する仲間として生きるための道徳教育などがより一層重要になる。だれもが通う小さな社会としての学校だからこそできることだ。この役割は民間には果たせない。
 
最後に、地域教育を考えたときに義務教育と高等教育との間にある壁の問題を訴えたい。議会で地元高校や大学の話題を出しても市の所管外であると一蹴されるのがオチである。しかし地域教育は中学校で完結するものではあるまい。民間との協力関係も含め既成概念にとらわれないダイナミックな地域教育全体の枠組みを考える時期が来ている。


2005年04月08日

小学校と中学校の入学式

桜の季節です。
水戸も桜が咲き始め、偕楽園のまだ残っている梅とあわせ
まさに公園都市としての本領発揮。お勧めですよー。
週末のご予定が決まっていなっかたはこれを機会に
是非水戸へ。

さて、昨日は笠原小学校、今日は笠原中学校の入学式
に参加。卒業式とはまた違った雰囲気です。
僕はこういう節目節目の学校行事がだいすき。
毎年子どもたちの旅立ちと新たなスタートそして
そのたびにある感激に立ち会うことのできる
先生って言う職業は贅沢だなぁっていつも思います。
仕事で感動できるものってそんなにないでしょ。
僕は塾の先生の時、生徒を送り出すたびに毎年
感激していたほどだから、学校こそいろんなドラマがあり
先生たちの感激もひとしおでしょう。
いーなー。ずるいなー。

入学式に参列するたびに思うことは
学校の偉大さです。
1年間という時間の大きさです。
っていうのも新入生と2年生の成長の差を
まざまざと感じさせられるから。これは
小学校でも中学校でも共通ですねー。
学校での学びや鍛錬っていうのは
なんだかんだいっても重要ですね。
だからこそ、何をどのようなプログラムで
子どもたちに指導をしていくのか
その哲学はいったい何か・・・そんな事を
大人が責任を持って定めなくちゃって思うんです。

学校といえば
ゆとり教育への攻撃が激化しています。
確かに学力低下は大きな課題。
でも、僕は結局のところ「どんな日本人を創る」
「どんな水戸人を創る」っていう根本の部分が
あいまいだからぐらぐらしちゃっているんだと思う
のです。
そしてそのあいまいさを学校の現場がモロに
かぶっちゃってるから大変なんです。

例えば学力の底上げだとかエリートを生み出すとか
そういうことであれば「塾」が今果たしている役割は
無視できませんよ。
でもこれまで塾と学校は対立的な図式で捉えられて
きましたよね。でもそれは、もう昔の話だと思うんです。
地域が責任を持ってどんな子どもを育むかを
議論をし、そのための役割分担をする時期ですよ。
塾も学校も地域も同じテーブルについて
一度真剣に議論をしたらどうですかね。

学校が学校の中での対策のみ考えるから
今のシステムが外との接触をとことんさえぎる
そんな壁だらけだからだめなんですよ。

入学式では必ず「教科書授与」がありますね。
そのとき校長先生は必ずこういうんです。
「この教科書は国民の皆さんの税金によって
 国から無償で皆さんにさずけられるものです」
僕の時もそうだったし、昨日も今日もそうでしたから
きっとそういう指導を文部科学省がしているんでしょうけど
なんだかあれ、昔から引っかかるんですよ。押し付けっぽくて。

押し付けるからには既存の概念を捨てて
きちっとこの時代の教育のあり方を国と地方が示さなきゃと
思うんですよ。
皆さんどう思います?

2005年04月03日

学校評議員について

ある人に呼び出され、学校評議員制度の現状をうかがう。

学校評議員は2年前、鳴り物入りで導入された「地域学
校連携施策」のひとつ。地域の住民のうちから数名を学
校長が指名・任命し学校に対し広い視野で意見をいただ
く制度。年に数回評議員会議が開催される。

僕自身はこの制度に対し、必要性は理解できるものの
「眉唾」的な感想をこれまでも抱いてきたのだが、どうも
その心配がやはり現実の物になっているようだ。

まず、校長先生が指名している時点で機能を阻害をして
いるように思う。

市が設置する各種審議会なども同様のことだが各団体の
代表者や地域の親分格が委員となることによって、いくつかの
審議会でメンバーの顔ぶれがかなりダブっている。「いつもの
顔」なのだ。これじゃあ新しい声はすいあげづらい。

また、審議委員さんや評議員さんには手当てが支払われる
のだが今回の話では実質的に会議に参加されていなくても
支払われているケースもあるようだ。このことがすなわち「形
骸化」を自ら証明してしまっているように思う。

制度そのものは否定しない。機能をしていればの話だけど。
でも機能していないケースもあるようだとするならば
その運用の仕方に過ちがあるということだろう。

ちょっとチェックをしてみたい。