2008年01月

2008年01月30日

鳥取、島根に視察に行きました

民主・社民フォーラムのメンバー4名と
葵政友会のお二人とで山陰地方に視察に行ってきました。

【鳥取市】
・ケーブルテレビ、インターネット網を使った情報格差是正策
・ぱれっと鳥取を中心とした市街地再生の取り組み
【出雲市】
・アグリビジネススクール事業について
・新エネルギー政策について

2市とも予定時間を大幅に超える長時間の質疑応答
意見交換でご先方には迷惑だったかもしれないが、
会派視察はいつも有意義なものとなる。3月の代表質問や
今後の議会活動・政策活動に存分に活かしたいとおもいます。

会派での視察報告がまとまれば、またここに改めてアップしますが
今日は、出雲で感じたことを少しまとめたので少し書きとめておきます。



出雲と言えば大国主大神(だいこくさま)の国譲りの地
として古くから神の国、神話の国と言われています。
出雲大社の境内の凛とした空気には身も心も
引き締まり、清々しくさえ感じ。。。

出雲の国には毎月一ヶ月間、日本中の八百万の神が
集います。その期間のことを僕たちは「神無月」といい
そして出雲の地では「神在月」と呼びます。
なんともこの日本の風情に酔いしれます。

ちなみに「ぜんざい」の語源も「神在」が訛ったもの
とのことで、この地が発祥だそうです。

さて、そんな出雲に何をしに行ったか。
出雲市の取り組む「新エネルギー開発」を学びに
いったわけです。国家レベルでのエネルギーの議論も
いよいよ自治体で自分のところをどうするかという
レベルになってきているのかと考えさせられる内容でした。

1485e5cb.jpg

最も注目されるものは日本最大規模の「風力発電事業」。
3,000kwの風車26基(総出力78,000kw)を
東西10km南北2kmの広範囲に設置。
出雲市のほぼ全世帯の年間発電量をまかなう計画。
総事業費は160億円。民間資本で実施をし、市は土地の準備や
固定資産税の優遇措置などで支援を行っているとのこと。
CO2の削減量95000tは県の削減目標の12%に当たるんだそうです。

他にも、バイオマスエネルギーや廃天ぷら油の再資源化
そして、脱炭素社会から「水素社会」へという高い理念の下
産学官での事業や研究も実施をされています。

こういう話をすると、ふつうは「環境政策」なのだと
おもうのですがこれらの事業を出雲市では「産業政策」と
位置づけて、企業誘致にどう結び付けるのか環境観光は
成り立つかなどを大きなテーマとしておられます。

すなわち、「出雲=環境先進都市」という
ブランドづくりに向けて
着実な取り組みを進めておられ、
トップランナーになろうとしているということ。
これだけ消費者の環境志向が強まれば、
企業にとってもそのイメージ飛びついて出雲へ
の企業立地を進めるという話も
あながち夢ではない時代が来そうです。

この戦略、この知恵、この先見性に脱帽です。

風をエナルギーに変える。

再生可能なものを使うという考え方が今大事だと
言われています。

そんな中で神さまがいる限り
きっと吹かせてくれるであろう「風」という資源を
産業育成へとつなげようとする神の国・出雲。

この思いに、
神さまと生きてきた地域の心意気を
僕なんかは、感じるわけです。


この記事をクリップ!

2008年01月18日

働く場所に光をあてて・・・

昨日のラジオゲストは福祉専門学校の先生たち。
今週末に県内の同様の学校や行政と一緒になって
介護福祉士フェアを実施するということでそのPRにこられた。

「介護・福祉の分野はこれからもっとも大事な分野で
 ニーズもどんどん大きくなっていく。ビジネスという
 面で見てもマーケットは拡大していくことは間違いない。
 しかしながらその担い手がまったく増えない。
 学校への入学希望者も減少の一方。」
とのこと。そう、雇用の受け皿としても重要だ。

では、その背景や要因は何かというと、
職場や労働環境の大変さ3Kばかりが世間にクローズアップされ
進路選択の最初から選択肢の中に入れてもらえないということらしい。

「本当は、人に接しライフステージをデザインし支えるという
 人に誇れる、感動もある仕事なのに、そういうところに
 スポットが当たらない」
と嘆いておられる。

確かに、と思う。
たとえばナースも労働環境としては大変な世界であると聞くが
小さい女の子の将来の夢のひとつに必ずランクインされること
と比べると分かりやすい。ナースのイメージにはなんとなく
華がある。

「今回のイベントは、現場の輝いているワカモノ
 夢を持って学んでいる学生たちが前面にでて
 企画をしています。進路を考えようと思っている
 中高生やそのご家族、そして社会を考えるきっかけとして
 多くの一般の方にもお越しいただければ」とのこと。

農業もそうかもしれない。この分野もこれからの私たちの
地域を考えたときに、活性化のエンジンとして再生しなければ
ならないし、雇用の受け皿となる大事な新しい産業と捉える
必要がある。そんな中で、若い世代の敬遠が問題になってきた
わけだが、最近は「農業やりたい」という若者も増えてきた。
これは明らかに環境思考の社会、おしゃれなEcoという流れの中で
農業の見え方が変わってきたことによるものだといえる。

介護福祉も農業も本来的には経済社会での競争には適さない分野だ。
社会の基盤として全国どこでも最低限のレベルが確保される、すなわち
ユニバーサルサービスを確立していくことが求められている。

介護の世界に競争の原理が導入されるから、施設では人員カットや
人件費削減が進み、スタッフの一人当たりの負担が増えサービスが
低下する。そして毎日の忙しさに、一人ひとりに心を砕いていられない
ことがスタッフのモチベーションを低下させていく。
いいことは何もない。

国や政府の責任は大きい。

公共事業に依存してきた地域経済は公共事業の縮小によって
悪化の一途をたどっている。地域経済が悪くなれば雇用環境に
影響し、若年雇用の縮小そして地方からの人材流出に繋がってきた。
雇用の受け皿の創出は地方の今一番取り組まねばならない課題だ。

福祉や農業は公共事業依存の地方経済を脱する、新たな分野に
なる可能性がある。税金の使い道の問題だ。

働く場所に光をあてること
光の当たる働く場所にする環境整備をすること。
これはニワトリと卵。車の両輪。

地方経済を立て直す大事な処方箋のひとつとして
エンジンとして育てていきたいと改めて考えた。

ちなみに介護福祉士フェアは
20日日曜日 10時からレイクビュー水戸です。

この記事をクリップ!

2008年01月08日

20代最後の日

20代最後の日も、あとちょっと。
いよいよ夜が更けてきました。

20歳の時、成人式は大雪でした。

結局、あまりの積雪に
「これじゃぁ、誰も行かないよな」と親友のゆうくんと
電話で話し、勝手に納得していたら現場から
「来てないのお前らだけだよ」と。
じゃ、せっかくの帰省でもったいないので
急きょ同窓会でもやろうと電話で話し、
適当に10人ぐらい集めといてと言ったら
結局、70人にもなってしまい。。。
懐かしい。

立命館大学の3回生で「京都まつり学生実行委員会」に没頭。
24時間密着で「京都のがんばる若者」として1時間番組を
関西テレビ系の京都チャンネルで放映してもらったのもこの年。
YOSAKOIソーランに負けない若者の祭りを京都に作りたい。
京都の三大祭りを四大祭りにしたい。
そんな夢を持って市内の企業や行政関係機関を行脚し続けた
自分自身の基礎を築いた一年でした。

この年の参議院選挙で福山哲郎さんのボランティアとして
政治参加をしたことも今につながる大事な一歩でした。


21歳。
夢を形にするために休学をし、本格的に塾講師に明け暮れた一年。

祭りづくりの夢を追うか、普通に就職活
動するか自分の生き方を模索した時間でした。
この年、就職の際氷河期と言われた時期で、同級生は
望まない就職を仕方なしにしていた時代でもありました。
塾講師での体験は新鮮で、そこにいる生徒、その親、
受験戦争と、他塾や他の校との競争、社会環境、
理想の教育と経営という現実に悩む講師陣…
大きな責任を与えられて仕事をしていた分
自分自身も大きく成長をした日々であったように思います。
いまやこのときの教え子が社会人。マイミクにも何人か。
機会があれば会いたいものです。

ついでにこの年、このときの塾講師仲間や学生の仲間とともに
教育系のNPOのようなものを立ち上げあれやこれやと
議論をしていた時期です。
「自分たちの理想とする学校をいつか作ろう」これが合言葉
でした。

22歳。
わが兄貴分、泉健太の25歳での衆議院選挙にとことん
付き合いました。惜敗でした。いまや、彼は2期目の議員と
なっています。ちなみにこのとき、一年間の休学で
一生懸命貯めた夢のための貯金は全部生活費として使い果た
しました。この選挙ののち、松井孝治さんに出会います。
やがて、就職。松井さんの秘書となりました。

23歳。
松井孝治参議院議員の初当選。事務所を任されました。
そして大学卒業。(順番は逆ですが気にしない…)
昼も夜も休日もない毎日。血を吐くまで働いた気がします。
このときの秘書仲間はいまでは本当にいいライバルです。
一つ後輩の木元君は今でも松井事務所で頑張ってくれていて
今や京都の国会議員秘書の重鎮です。

24歳。
夏に、思うところがあり、そして議員も「将来のために
一度、広い世界を見ておいで」と背中を押してくれた
こともあり、政治の世界を離れる覚悟で離職をしました。
考えてみれば20歳からずっと政治の世界に使ってしまって
いましたから、何もかもが初めての感覚で新鮮でした。

就職活動を少ししたのですが、なんとなくしっくりこないので
自分探しと記念受験という思いで「松下政経塾」を受験。
最終試験で不合格となりました。このとき一緒に受験をして
合格した人の中には既に国会議員となった方もおられます。

さて、これからどうしようと悩みつつ軽い気持ちで参加した
近畿青年洋上大学。400人で船に乗り中国へ。一生ものの
友人をたくさんたくさん得ることができました。一緒に参加
をした皆さんは気づいていないとは思いますが、実はこのとき
帰りの船の中で、
「これからは、自分の名前で何かをしよう。」と海を見ながら
考えたのです。ここで出会った仲間が自分のことを覚えていて
もらえればうれしい、そのためには自分の足で立とうと。長い
長い船旅ですから、考える時間はふんだんにありました。背伸
びをせずに自分の一番好きな「まちづくりの夢を語ること」を
仕事にできないか。今持っている感性で、今持っている思いを
ストレートにぶつけられる場所はないか、自治体議員という
選択肢がひらめいたのは実は海の上のことでした。

船を下りてからは、悩み続ける日々でした。たくさんの人に会い
たくさんの相談をしました。何から手をつければいいのか
自分にできるのか、一度企業に身を置いたほうが勉強になるの
ではないか・・・そして何よりも悩んだのは、
京都の街か、茨城に戻るのかということでした。

京都の街が大好きでした。京都のまちづくりを学生時代
一生懸命やってきて、秘書もやったのでひとしきりの人脈も
そこにありました。夢も京都の中で描いてきました。
若手の議員もたくさんいる。20代で政治に挑む仲間も
たくさんいました。同志とともにがんばりたい。
だから、骨もうずめるつもりでした。

でも、なぜか茨城が気になって仕方がないのです。 
茨城に帰っても、人脈もない。京都以上に政治的には
古い地域。何一つ良い条件はありませんでした。

1月8日夜10時過ぎ。25歳になる直前。
ちょうど5年前の今日、この時間。
僕は京都の四条河原町のコーヒーショップ青山にいました。
25歳になりまでにこれからの進む道を決めよう。
京都か、茨城か、それとも政治から本格的に離れるか。
・・・決断をしました。

「茨城へ帰る、県都水戸で選挙に挑戦する」

今でも、なぜ京都を離れる結論を出せたのかはわかりません。
あえて言うならば「血が騒いだ」としか言いようがありません。
理屈ではなくて、12月に茨城に少しだけ帰った時に
見た故郷の姿が血に熱を与えていました。

25歳
1月18日、仲間が送別会を開いてくれました。
1月20日、新幹線に乗って京都の街を離れました。
そこからは怒涛の日々で、実はほとんど記憶にありません。
4月27日、2547票を頂いて水戸市議にならせていただきました。

26歳
4月1日、「FMぱるるん」でラジオ番組をスタート。
ある意味では、今の僕のもう一つの顔ともいえるものを
ここから築くことができました。

28歳
元旦に幼稚園からの幼馴染と結婚。人生は新たなステージへ。

29歳
4月25日、4767票で2期目当選。
そして、学生時代からの夢の一つ「理想とする学校をつくろう」
の思いを水戸の地で実現させようと決意。10月6日には
「あしたの学校」としてプロジェクトをスタートさせました。
自分と地域にとことんこだわる人材をつくる学校を目指して
これからNPO化にとりくみます。

そしていま、あと一時間半で20代が終わります。

振り返ると、いろいろとあります。
もっと書きたいことも、かけないこともあります。

たくさん笑いました。たくさん怒りました。
たくさん泣きました。
苦しくて苦しくて眠れない日々を過ごした思い出もあります。

25歳以降は市議会議員としての活動が生活のほとんどすべて
ですので、こうやって書くと急に淡白になった感がありますが、
まもなく6年目に突入する市議としての日々こそ、
実は本当に濃厚です。

地域とくらしに根っこを張った毎日は勉強の連続です。
理想と現実の間に挟まれて、本当にストレスの強い中
鍛えられている感があります。

この10年間に出会った人すべてに皆さんに感謝をし

この10年間で自分の身に付いたものは
余分な15キロの贅肉だけではないということを信じて

新しい10年を迎える覚悟と
「三十路突入」という事実を受け入れる覚悟を
少しずつ固めながら

残り一時間ちょっとを紅茶でも飲んで
過ごそうと思います。


この記事をクリップ!

2008年01月01日

2007年の展望をちょっとばかり。

新年、明けましておめでとうございます。

先ほど2007年の仕事納め、FMぱるるん
年越しカウントダウン特番を終え帰宅をしました。

2007年は結婚、二度目の選挙と大きな節目の一年と
なりました。皆さんのおかげです。
心より感謝しています。

さて2008年ですが、

あと一週間ほどでいよいよ三十路に突入する僕です。
小さなころに30歳といえば、もう完全におっさんで
そんな大人に自分自身がなること自体が想像さえできない
感覚でしたが、いざなるとなると、こんなに子供っぽくて
いいのかと思うぐらいです。

今年はどんな一年になるのか。
僕自身は
年始にあたり、二つのことを考えています。

ひとつは、2009年へのカウントダウンが始まった
ということです。

実は水戸市は2009年に
市制施行120年を迎えます(1989年、全国最初の市制施行31市のひとつ)。

同時に、
水戸藩開藩400周年(頼房公が水戸に入ったのが1609年、35万石)です。

そしてこの年には、市長が観光政策の目玉の一つと位置づける
「(仮称)新好文茶屋」の開館が予定されています。

僕は、この2009年に水戸のまちが何ができるかが
実は非常に重要なことであると考えています。
12月議会でも提言しましたが水戸市としての「新観光元年宣言」を
行い、数値目標を定めた観光のさまざまな取り組みを
具体化をさせていく必要があるし、100年に一度の大チャンスと
位置づけるべきだと思うわけです。そのためには、二年をかけた大きな
プロジェクトをスタートさせるべきであると考えています。

そもそも、私たちの町は
「全国的な知名度」に胡坐をかいた、観光政策の希薄さ
「価値の認識のなさ」による、価値破壊型の都市化
「見せ方へのこだわりのなさ」による、PR下手
などの課題を抱えていますし、
観光政策に数値目標的なものを持ちえていなかったように思います。
目標年度を定め、目標数値を掲げることこそが大きな改革です。
「action for 09」への2008年という位置づけは大事です。

もうひとつは
「地方都市」「地方経済」のカタチが問われる時代に
突入するということです。

いま、世間を見ると景気の回復を叫ばれながらも
大都市の一極化が顕著で地方がその恩恵を
受けえていません。ここ数年の地方の中小企業や
商店街などの疲弊状況は目を覆うばかりです。
「大きいものが勝つ」
「強いものだけが生き残る」
そんな時代の空気はますます強くなっています。

07年のアメリカのサブプライムローン騒動では
日本経済と世界経済が完全に一本の血管で
結びついてしまっていることを痛感しました。
郵政の民営化によっていよいよその血管に
血液を世界経済へ送り出すポンプ機能が装備された
ような感さえします。
経済評論家の方々からは北京オリンピック後の
中国バブルの崩壊による世界経済の混乱を指摘する
声を聞きます。見せ掛けの好景気も転換期に
差し掛かるということです。

世界の経済と地方の経済、そして家計がいま
一本の血管で繋がっているということは
あるいみ恐怖に近い感覚を覚えます。
「国際競争に勝ち抜けない」という脅迫めいた
言葉が雇用や暮らしの現場を直撃し、
不景気に突入すればさらに地方を苦しめるのは
目に見えています。

世界経済と直結した結果として、
地域の暮らしが崩壊し溶け出している
それは日本という国の「国がら」が溶け出していくという
ことと同意義のことなのだと思います。
なんでもかんでも「効率」で片付けることほど
味気ない社会はありません。

もっと地域で暮らす普通の人々が
穏やかに誇りを持って生きていける
誤解を恐れずにいえば、世界の動向に左右されない
「地域の閉じた経済」「共助、助け合いの文化」
そしてそのことを底辺から支える
「地方都市へのこだわり」「知恵」が
試されているのだと思います。

2008年がいい年でありますように。
本年もよろしくお願いします。


この記事をクリップ!