2007年01月
2007年01月28日
at 13:03 Permalink
多極化よりコンパクトシティ
大工町一丁目地区の再開発の全貌が明らかになった。
マンション、ホテルを核とした4棟の建設だ。
水戸市内はここ数年で市街地の変化が激しい。
ユニー跡、ダイエー跡などもまもなく新しい姿に
生まれ変わる。
マンションの建設ラッシュは茨城県が全国でダントツらしい。
水戸市内も即日完売の好況な状況が続いているという。
市街地に住民が戻るといった意味で大いに歓迎したい。
これからはこのマンションラッシュに対応した
市街地活性を政策的に構築する必要がある。
もちろん、既住住民とのコミュニティの連結なども
行政が手を貸す必要が生じてくるかもしれない。
かつて「多極化」を目指したまちづくりが
この水戸でも主流であった。
しかし、バブルが崩壊して以降
人口減少社会、高齢化社会に突入した今
多極化により、郊外等へ新たな街を創造していく作業は
道路や下水道の整備などで高コストであることは
明らかだ。
だからこそ、再開発等による既設のインフラを
再活用していく施策の充実が求められている。
住宅政策なども転換期を迎えている。
未だに昨今のなんとなく好景気な状況に
都市の浮かれた多極化を唱える方もいるようだが
バブルの時代の発想から抜け出していないのだろう。
そんなんじゃダメだ。
コンパクトなまちづくりを進めたいと思う。
***************
水戸・大工町1丁目地区再開発ビル 構想16年ぶり実現へ
2007/01/26(金) 茨城新聞朝刊 県央 A版 19頁
3月にも4棟着工
水戸市の中心市街地に位置する大工町一丁目地区の再開発ビルが三月にも着工する。ホテルと住宅、業務ビルなど計四棟を建設する計画。JR水戸駅前から延びる国道50号沿いのにぎわい拠点の一つとして注目される。一九九一年から地権者らと協議を進めてきた構想が、十六年ぶりに実現へ向けて本格的に動きだす。二月下旬には一般競争入札を行う予定で、二〇〇九年三月の完成を目指すという。
ホテル、住宅、福祉施設も
再開発用地は国道50号大工町交差点の南側で、大工町一丁目と天王町の一部にまたがる約一万五千平方?。同地区内にホテルと住宅、業務、駐車場の四棟を建設し、敷地の中央部に歩行者専用の自由通路を整備する。都市部の人口空洞化や高齢化の進展に対応した居住環境の整備を基本テーマに、都市生活の幅広いニーズに応じた水戸の西側玄関口にふさわしい拠点づくりを掲げる。
ホテルはホテルオークラに運営を委託し、約百の客室ほか会議や宴会にも対応。住宅棟は二十三階建ての高層マンション(百三十七戸)で、低層階に有料老人ホーム(四十室)が入る。業務棟は三階までに生鮮品販売や金融機関などの店舗を設け、四?七階は複数の診療所が集まるクリニック・モールと、リハビリやデイケアが受けられる民間の福祉施設が入る予定。駐車場は約三百五十台分を確保する計画。
事業は「大工町一丁目地区市街地再開発組合」(西野一郎理事長)が施行。事業費は国、県、水戸市から計約四十億円の補助金と保留床の処分金で約百四十億円。地権者の資産の等価交換分を含めた総事業費は約百六十億円。
事業実現に向け、九一年に準備会を発足させ、九四年に準備組合、九九年に都市計画決定、〇一年九月に同再開発組合を設立し、計画を進めてきた。昨年十二月に地権者の権利変換計画認可を受け、二月下旬に四つの工事区分で一般競争入札を行う見通しになった。完成後は「フロンティア水戸」を設立し、施設・経営管理を行う。
同組合は、一般競争入札参加者、各棟内の店舗や事務所、住宅、駐車場など保留床の購入希望者を募っている。問い合わせは同組合事務所 ?029(300)2050。
マンション、ホテルを核とした4棟の建設だ。
水戸市内はここ数年で市街地の変化が激しい。
ユニー跡、ダイエー跡などもまもなく新しい姿に
生まれ変わる。
マンションの建設ラッシュは茨城県が全国でダントツらしい。
水戸市内も即日完売の好況な状況が続いているという。
市街地に住民が戻るといった意味で大いに歓迎したい。
これからはこのマンションラッシュに対応した
市街地活性を政策的に構築する必要がある。
もちろん、既住住民とのコミュニティの連結なども
行政が手を貸す必要が生じてくるかもしれない。
かつて「多極化」を目指したまちづくりが
この水戸でも主流であった。
しかし、バブルが崩壊して以降
人口減少社会、高齢化社会に突入した今
多極化により、郊外等へ新たな街を創造していく作業は
道路や下水道の整備などで高コストであることは
明らかだ。
だからこそ、再開発等による既設のインフラを
再活用していく施策の充実が求められている。
住宅政策なども転換期を迎えている。
未だに昨今のなんとなく好景気な状況に
都市の浮かれた多極化を唱える方もいるようだが
バブルの時代の発想から抜け出していないのだろう。
そんなんじゃダメだ。
コンパクトなまちづくりを進めたいと思う。
***************
水戸・大工町1丁目地区再開発ビル 構想16年ぶり実現へ
2007/01/26(金) 茨城新聞朝刊 県央 A版 19頁
3月にも4棟着工
水戸市の中心市街地に位置する大工町一丁目地区の再開発ビルが三月にも着工する。ホテルと住宅、業務ビルなど計四棟を建設する計画。JR水戸駅前から延びる国道50号沿いのにぎわい拠点の一つとして注目される。一九九一年から地権者らと協議を進めてきた構想が、十六年ぶりに実現へ向けて本格的に動きだす。二月下旬には一般競争入札を行う予定で、二〇〇九年三月の完成を目指すという。
ホテル、住宅、福祉施設も
再開発用地は国道50号大工町交差点の南側で、大工町一丁目と天王町の一部にまたがる約一万五千平方?。同地区内にホテルと住宅、業務、駐車場の四棟を建設し、敷地の中央部に歩行者専用の自由通路を整備する。都市部の人口空洞化や高齢化の進展に対応した居住環境の整備を基本テーマに、都市生活の幅広いニーズに応じた水戸の西側玄関口にふさわしい拠点づくりを掲げる。
ホテルはホテルオークラに運営を委託し、約百の客室ほか会議や宴会にも対応。住宅棟は二十三階建ての高層マンション(百三十七戸)で、低層階に有料老人ホーム(四十室)が入る。業務棟は三階までに生鮮品販売や金融機関などの店舗を設け、四?七階は複数の診療所が集まるクリニック・モールと、リハビリやデイケアが受けられる民間の福祉施設が入る予定。駐車場は約三百五十台分を確保する計画。
事業は「大工町一丁目地区市街地再開発組合」(西野一郎理事長)が施行。事業費は国、県、水戸市から計約四十億円の補助金と保留床の処分金で約百四十億円。地権者の資産の等価交換分を含めた総事業費は約百六十億円。
事業実現に向け、九一年に準備会を発足させ、九四年に準備組合、九九年に都市計画決定、〇一年九月に同再開発組合を設立し、計画を進めてきた。昨年十二月に地権者の権利変換計画認可を受け、二月下旬に四つの工事区分で一般競争入札を行う見通しになった。完成後は「フロンティア水戸」を設立し、施設・経営管理を行う。
同組合は、一般競争入札参加者、各棟内の店舗や事務所、住宅、駐車場など保留床の購入希望者を募っている。問い合わせは同組合事務所 ?029(300)2050。
2007年01月18日
at 22:33 Permalink
青信号なのに。
テレビを通じて芸能人の娘さんが
交通事故でなくなられた話を知った。
小学校への通学途中
曲がってきたトラック
青信号の横断歩道の上
2002年11月25日の朝
水戸市の赤塚二丁目交差点の
横断歩道上で
小学校の女児が
ダンプにひき逃げされて
亡くなった事件と
被って映る。
僕自身、被害者のご遺族と
この間ずっと親しくさせて
いただいてきたが
最愛の子供を突然奪われた
親の悲しみと怒りは
当然だが果てしなく深い
子供を轢いたがわも
車に轢かれたがわも
ともに青信号・・・
やはりここに大きな問題が
あるといえるのではないだろうか。
「歩車分離信号」は信号制御のシステムで
横断歩道上で、歩行者と車が交差しない。
確かに、車にしてみれば渋滞が伸びるとか
信号の待ち時間が長くなるとかで
不便さがある。
でもしかし、子供の命と車の待ち時間
どちらを優先すべきかは議論の余地がない
これまで、このご遺族の力を借りながら
僕も、多くの自治体議員との勉強会を開催し
県内各地の議会や友人のいる全国の議会を
通じて働きかけ、理解もすすみ
今では4年前に比べて多くの分離信号が
普及をするようになった。
先に述べた赤塚二丁目の複雑な構造の
交差点も都市計画道路の整備が
ようやく進み
交差点完成後には分離信号が設置
されることになっている。
僕自身は市民の皆さんへこの信号が持つ意味を
しっかりと説明をしながら
分離信号のさらなる普及と
「轢き逃げ」犯の厳罰化に向けて
これからもさらに取り組みを進めていく
覚悟だ。
事故について
2006/05/29やるせない思い
轢き逃げ厳罰化について
2006/09/14 今こそ、ひき逃げ厳罰化を!
交通事故でなくなられた話を知った。
小学校への通学途中
曲がってきたトラック
青信号の横断歩道の上
2002年11月25日の朝
水戸市の赤塚二丁目交差点の
横断歩道上で
小学校の女児が
ダンプにひき逃げされて
亡くなった事件と
被って映る。
僕自身、被害者のご遺族と
この間ずっと親しくさせて
いただいてきたが
最愛の子供を突然奪われた
親の悲しみと怒りは
当然だが果てしなく深い
子供を轢いたがわも
車に轢かれたがわも
ともに青信号・・・
やはりここに大きな問題が
あるといえるのではないだろうか。
「歩車分離信号」は信号制御のシステムで
横断歩道上で、歩行者と車が交差しない。
確かに、車にしてみれば渋滞が伸びるとか
信号の待ち時間が長くなるとかで
不便さがある。
でもしかし、子供の命と車の待ち時間
どちらを優先すべきかは議論の余地がない
これまで、このご遺族の力を借りながら
僕も、多くの自治体議員との勉強会を開催し
県内各地の議会や友人のいる全国の議会を
通じて働きかけ、理解もすすみ
今では4年前に比べて多くの分離信号が
普及をするようになった。
先に述べた赤塚二丁目の複雑な構造の
交差点も都市計画道路の整備が
ようやく進み
交差点完成後には分離信号が設置
されることになっている。
僕自身は市民の皆さんへこの信号が持つ意味を
しっかりと説明をしながら
分離信号のさらなる普及と
「轢き逃げ」犯の厳罰化に向けて
これからもさらに取り組みを進めていく
覚悟だ。
事故について
2006/05/29やるせない思い
轢き逃げ厳罰化について
2006/09/14 今こそ、ひき逃げ厳罰化を!
2007年01月17日
at 23:58 Permalink
神戸の震災から12年
早いもので神戸の震災から12年だそうだ。
我々関東人はテレビの中の出来事でしかなかったが
僕が京都の大学に入学した当初の関西地域は
街にも人の心にもその傷跡が生々しく残っていたことが
とっても印象深かったことを今でもよく覚えている。
新潟の震災のときは一番被害のひどかった小千谷、
長岡地区に前日まで滞在していた。
長岡へは震災の後すぐにボランティアで現地に入った。
先日見た光景とは全く違っていて、恐怖を感じた。
災害によってあちらこちらが崩れている道路を機材を
運ぶため恐る恐る車を運転していたときにたまたますれ違ったのは
「水戸市消防」の救援チーム。誇らしくもあり、頼もしくもあった。
震災はいつでもどこでもやってくる。
日々の備えはもちろんのことだが、
自治体と自治体、地域と地域の相互救援のシステムは
複数構築しておく必要がある。
同時に、福祉部門と消防部門の情報共有システムも大切だ。
確かに個人情報との絡みもあって容易ではないが
どの地域にどのような社会的弱者がいて、救護体制は
どのようになっているのかというような事については
縦割りの壁を取っ払ってお互いに知っている必要がある。
震災時に高齢者や障害者の個人情報を消防部門に提供し
効率的な救助を求めた市の担当者が、個人情報の取り扱いを
めぐり後日処分をされたということを聞いたことがあるが
こんなのはおかしい。
機動性が問われているときに何ができるか
その部分の詳細を我が水戸市も詰めておく必要があると
これまで訴えてきている。
我々関東人はテレビの中の出来事でしかなかったが
僕が京都の大学に入学した当初の関西地域は
街にも人の心にもその傷跡が生々しく残っていたことが
とっても印象深かったことを今でもよく覚えている。
新潟の震災のときは一番被害のひどかった小千谷、
長岡地区に前日まで滞在していた。
長岡へは震災の後すぐにボランティアで現地に入った。
先日見た光景とは全く違っていて、恐怖を感じた。
災害によってあちらこちらが崩れている道路を機材を
運ぶため恐る恐る車を運転していたときにたまたますれ違ったのは
「水戸市消防」の救援チーム。誇らしくもあり、頼もしくもあった。
震災はいつでもどこでもやってくる。
日々の備えはもちろんのことだが、
自治体と自治体、地域と地域の相互救援のシステムは
複数構築しておく必要がある。
同時に、福祉部門と消防部門の情報共有システムも大切だ。
確かに個人情報との絡みもあって容易ではないが
どの地域にどのような社会的弱者がいて、救護体制は
どのようになっているのかというような事については
縦割りの壁を取っ払ってお互いに知っている必要がある。
震災時に高齢者や障害者の個人情報を消防部門に提供し
効率的な救助を求めた市の担当者が、個人情報の取り扱いを
めぐり後日処分をされたということを聞いたことがあるが
こんなのはおかしい。
機動性が問われているときに何ができるか
その部分の詳細を我が水戸市も詰めておく必要があると
これまで訴えてきている。
2007年01月09日
at 17:41 Permalink
29才になりました。
1月9日、29歳になりました。
20代も残すところ一年ともなり
先日の成人式もようやく20代になった世代を
眺めながらなんだか感慨深く感じていました。
激動の20代でした。
まさか自分が議員になるとは
10代の頃はまったく思っていませんでした。
20代の締めくくりの今年
結婚をし、4月には二度目の選挙を迎え
慌しくなりますが
4月の選挙が終われば
やりたいことが沢山あります。
20代のうちにやろうと思っていたことを
夢をかなえる一年にしたいと思います。
しっかりと
いい20代だったといえるような
そんな一年にしたいと
心新たに思います。
もうひとつ、
毎年この日になると触れていますが
2003年の1月9日は
自分が京都から茨城へ帰ると決心した
日でもあります。
水戸市議会議員選挙に25歳で挑戦をする
その決意をした日でもあります。
正確に言うと、1月8日の真夜中
24歳の最後の最後に京都の四条河原町の
喫茶店で結論を出しました。
京都で得たものは大きい。
それをすべて捨てて、故郷に帰ることは
とても苦しい決断でした。
でも、やはり
「骨を埋めるなら故郷で」
という思いを強くし、
そして今の僕がいます。
だからトコトン、茨城にこだわって
いるんです。
だからトコトン、若者が故郷に
かえること、定着することを
強く訴えているんです。
あのときの自分の決断が間違いではなかったと
しっかりと確認できる1年にしたいと思います。
そしてそのことこそが
この20代の時代にお世話になった茨城と
京都の多くの方々の恩に報いることなのだと
思っています。
20代も残すところ一年ともなり
先日の成人式もようやく20代になった世代を
眺めながらなんだか感慨深く感じていました。
激動の20代でした。
まさか自分が議員になるとは
10代の頃はまったく思っていませんでした。
20代の締めくくりの今年
結婚をし、4月には二度目の選挙を迎え
慌しくなりますが
4月の選挙が終われば
やりたいことが沢山あります。
20代のうちにやろうと思っていたことを
夢をかなえる一年にしたいと思います。
しっかりと
いい20代だったといえるような
そんな一年にしたいと
心新たに思います。
もうひとつ、
毎年この日になると触れていますが
2003年の1月9日は
自分が京都から茨城へ帰ると決心した
日でもあります。
水戸市議会議員選挙に25歳で挑戦をする
その決意をした日でもあります。
正確に言うと、1月8日の真夜中
24歳の最後の最後に京都の四条河原町の
喫茶店で結論を出しました。
京都で得たものは大きい。
それをすべて捨てて、故郷に帰ることは
とても苦しい決断でした。
でも、やはり
「骨を埋めるなら故郷で」
という思いを強くし、
そして今の僕がいます。
だからトコトン、茨城にこだわって
いるんです。
だからトコトン、若者が故郷に
かえること、定着することを
強く訴えているんです。
あのときの自分の決断が間違いではなかったと
しっかりと確認できる1年にしたいと思います。
そしてそのことこそが
この20代の時代にお世話になった茨城と
京都の多くの方々の恩に報いることなのだと
思っています。
