2005年09月

2005年09月30日

ドブネズミみたいに美しくなりたい

衆議員選挙から3週間。この選挙のお疲れ残念会を催し、懐かしい戦友たちと再会。つい最近だがだいぶ昔のような気がする。

終了後、近くのカラオケに繰り出す。。。いやぁ、もう、はちゃめちゃ。この夏の鬱憤をすべて発散するようなはじけっぷり。こんなノリは京都での学生時代以来。地元の学生ボランティアのメンバーと熱狂的な一夜となった。

最後は、「リンダリンダ」。まぁ定番ですけどね、みんなで熱狂する締めとしてはこれ以上の歌はない。この選挙で敗れた福島のぶゆきが「ドブネズミみたいに美しくなりたい」と熱唱する姿になんだか涙が出そうになった。

福島は最近よく言う。「要領よく生きてはいけない」と。ムードや風で政治家になっても意味はない。選挙に勝つことが目的ではないと。心に響く。リンダリンダと叫び、ジャンプを繰り返し、抱き合い、腕を天に突き上げる我々若者に彼が与えてくれている影響は大きいと思う。

そうそう、僕が久しぶりにいたった歌。
とんねるずの「情けねぇ」。歌詞を読み返してみると15年も前の歌なのに何か通ずるものがある。

ちっぽけな幸せに 魂を売り飛ばし
あぁ生き急ぐ あぁ人の群れ
偽りの微笑みに 後悔はないのかい
あぁ唾はいて あぁ捨てた夢

みんな時代のせいだと 
いいわけなんかするなよ
人生の傍観者たちを
俺は許さないだろう

情けねぇ
自由がないている
wo・・・
情けねぇ
しょっぱい血を流し
wo・・・
お似合いだぜお前にゃ
口を閉ざしおやすみ
鎖につながれた子犬のように
wo・・・

この国を
wo・・・
滅ぼすなよ


暖かい 陽だまりに
眠ってていいのかい
あぁ 激動の あぁ この時に
遠い国の不幸せ
対岸の火事なのか
そんな歴史の涙さえも
誰も見過ごすつもりか

情けねぇ
涙もでやしねぇ
wo・・・
情けねぇ
無力装うなんて
wo・・・
今振り上げた拳は
芝居じみた正義か
この世のすべてはパロディーなのか
wo・・・

情けねぇ 
自由がないている
情けねぇ
しょっぱい血を流し
今振り上げた拳は
芝居じみた正義か
この世のすべてはパロディなのか

この国を おちょくるなよ



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戦没者追悼式に参加

昼間は、水戸市の戦没者追悼式に参列。
戦後60年。時代の経過と記憶の風化に危機感を覚える。
ご遺族たちの高齢化が年々すすんでいることは秘書として
同様の式典に京都で参加していたころから常々感じてきた。
補償をどうするかももちろん大切だとは思うが、それ以上に
これらの式典のあり方、10年後20年後を見越した検討は
急務であると感じる。今、この方々が元気なうちに手を打たないと
本当に手遅れになる。

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2005年09月27日

まちに個性を!!!

今日は「子供に優しい街づくり審議会」に委員として参加。30億円かけて作る多世代交流拠点施設の建築の中身等について審議を継続している。

多世代交流拠点という言葉のとおり、この施設は高齢者の介護予防施策と子育て支援とを両立させる施設となるわけなのだが、二兎を追うとひとつも得ない可能性は否定できない。狭い敷地にあれもこれも押し込むことには懸念が残る。ここはむしろ思い切って子育て支援拠点へと転換をしていった方がいいのではないか。

子育て支援施策は地域密着型で将来的には市内の保育園や公民館にその役割を担ってもらうことになる。とすると、この施設はいらないということになってしまう。それでも作るというのだから中途半端なことはやめて、ここじゃなければできないことを徹底的に追求していくことが筋だ。予算の問題はあるが、変にケチって誰も使わない施設となるんだったら最初からやめた方がいい。

駐車場の議論は街中に何かを作るときいつも出てくる。駐車場が足りない、駐車場がなければだめだと。でも、限られたスペースに駐車場ばかり作って肝心の施設の中身がお粗末では話にならない。「駐車場がなくても使いたい」「駐車料金払ってでも行きたい」と思わせるものを作ればいい。むしろこの方が正論なはず。

施設の持つイメージも重要だ。この場所は旧県庁、弘道館と芸術館の間に位置し、大田街道からの水戸の玄関口に当たる最高の立地にある。その施設が街の新しいランドマークとして機能をしていくことは重要な視点だ。水戸芸術館には優秀な学芸員の方々がいるわけだから彼らの知恵を生かしたデザインとなることが理想だと思う。子育て関係者と現代アートの関係者とがともに創り上げる施設は水戸にしかできない個性の果実となる。とことんこだわれ!

中国バブルの影響で鉄骨の値段が上がっているらしい。そのため予算的に厳しいという話を聞いたが発注の仕方を変えればコストの削減は可能なはずだ。行政は大体すべてが高止まりなんだから。

夜は水戸青年会議所で地域未来ビジョンのまとめの作業。11月に発表する予定となっている。街の個性をとことん追求する結構面白い中身に仕上げているつもり。乞うご期待。


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都会の「空」を御預りしています。

いやぁ今朝は寒い。凍えるような寒さの中で目が覚めましたよ。
早起きするんひさしぶりだなぁ・・・。衆議員選挙以来、朝立ち(←朝の駅頭での街頭演説の意味)もしていないし、なんだかまだ凹んだ部分を引きずっています。はぁ、早く立ち直らなくちゃ。

空を見上げるともうすでに空は完全に秋ですね。激動の夏だったもんで、ちと気づくの遅めですけれど。水戸の空はホンマに広い。
何もないから・・・?まぁたしかにそうですがね、でもまぁ、いっつも東京や京都から帰って水戸駅のペデストリアンデッキからどーんと広がる空を見ると感激してきたわけですよ。千波大橋から見る夕日なんか最高ですね。海門橋から見る水戸市一望の景色もこれまた最高。

最近は新しい田舎居住型生活の「つくばスタイル」がTXの影響で注目されていますけれど、「水戸スタイル」もなかなかですよ。芸術はある、海はある、美味いもんもある、薬膳もある、陶芸もある、学ぶべき歴史哲学がある、そして空がある。都会の「空」を御預りしています。
秋空の下、背伸びをしたくなればぜひ水戸へどうぞ。

昨晩はNPO関係者と市の担当部局との会議に同席。NPOやボランティア・・・欧米ではこれらを総称してVO(ボランティアオーガニゼーション)という・・・はこれからの新しい故郷の担い手としてまちづくりに欠かせない。来年度の職員採用が6名といった行政縮小路線の中では、行政と市民との役割分担の制度設計が急がれる。市民団体といえばこれまで「反対」「要求」型の圧力団体的イメージがあるが、双方がその認識を改めていくことがまず第一歩。着実な歩みとしていきたい。

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2005年09月20日

ジョブズ氏のスピーチ?

(続き)

               ◆◇◆

PART 4 FIRED FROM APPLE
 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。
 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。
 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。
 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。
 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。
 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。
 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。
 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。
 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。
 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。

               ◆◇◆

PART 5 ABOUT DEATH
 3つ目は、死に関するお話です。
 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。
「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。
 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。
 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。
              
 ◆◇◆

PART 6 DIAGNOSED WITH CANCER
 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。
 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。
 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。
 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。
 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。
 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだら、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。
 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

               ◆◇◆

PART 7 STAY HUNGRY, STAY FOOLISH
 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。
 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンロー
パークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。
 スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。
 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stayfoolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」
 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

  Stay hungry, stay foolish.
 ご清聴ありがとうございました。

the Stanford University Commencement address by Steve Jobs CEO, Apple Computer CEO, Pixar Animation Studios
翻訳 市村佐登美
satomi@mediaexpress.org

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