2005年07月
2005年07月31日
at 15:48 Permalink
少子化ねぇぇぇ。
名古屋から戻って以来、ブログの記事が止まってしまっていてごめんなさい。ここ最近は、目の前に迫っている自分自身の市政報告会の準備、声がけと、なんだか風雲急を告げている解散総選挙対応の準備もろもろで市内を駆け回っている。
水曜日の午前中には仲間たちと、唐突な勢いで現実味を帯びている水戸市の幼稚園の統廃合問題についてざっくばらんな意見交換。いくつか現場の声を聞きながら考えていんだけど、
僕自身は、
「やっぱ市立幼稚園と私立幼稚園とがと対等な競争ができない状態(時間的制約や2年保育..3年保育の差など)で共存させることに無理があるんでねーの」と思っている。
幼稚園は定数割れなのに保育園は待機児童が増えている状態ってのはつまり、市民ニーズに現状の幼稚園が適応していないということでしょ。
木曜日には日本の国全体の男性人口が初めて減ったことが大きく報じられた。来年には人口そのものもピークを迎え人口減少社会に転ずることが明らか。少子化の問題はもちろん、人口を増やすための議論も必要なんだろうが、それと同時に人口が減った社会をどう運営していくかって言う見直しこそ重要なわけだよね。ということは結局、今までの施策の見直しは必須ということ。「おらが村の幼稚園がなくなるなんて」という地域エゴよりも、子度もの育つ環境と親御さんのニーズを重視した判断でありたいと思う。
とはいえ、話の流れは急激だ。本当はこういうことを議論できる時間と機会が必要なんだと思う。対処対策ではなくて大きなビジョンがとわれている。
水曜日の午前中には仲間たちと、唐突な勢いで現実味を帯びている水戸市の幼稚園の統廃合問題についてざっくばらんな意見交換。いくつか現場の声を聞きながら考えていんだけど、
僕自身は、
「やっぱ市立幼稚園と私立幼稚園とがと対等な競争ができない状態(時間的制約や2年保育..3年保育の差など)で共存させることに無理があるんでねーの」と思っている。
幼稚園は定数割れなのに保育園は待機児童が増えている状態ってのはつまり、市民ニーズに現状の幼稚園が適応していないということでしょ。
木曜日には日本の国全体の男性人口が初めて減ったことが大きく報じられた。来年には人口そのものもピークを迎え人口減少社会に転ずることが明らか。少子化の問題はもちろん、人口を増やすための議論も必要なんだろうが、それと同時に人口が減った社会をどう運営していくかって言う見直しこそ重要なわけだよね。ということは結局、今までの施策の見直しは必須ということ。「おらが村の幼稚園がなくなるなんて」という地域エゴよりも、子度もの育つ環境と親御さんのニーズを重視した判断でありたいと思う。
とはいえ、話の流れは急激だ。本当はこういうことを議論できる時間と機会が必要なんだと思う。対処対策ではなくて大きなビジョンがとわれている。
2005年07月25日
at 22:29 Permalink
日本人として
土曜日、日曜日と青年会議所のサマーコンファレンスに参加するために名古屋へ。今年は名古屋へ足を運ぶ機会が何度もあるのだが結局未だ、万博にはいけてない。
さて、今年度の青年会議所は「国家力」「道徳力」という言葉をキーワードにしている。農耕民族(狩猟ではなく共生)としてこの小さな島国に誇り高く生きてきた日本人像、清貧な生き方と敬虔な自然への畏れ、和の精神を再生し国づくりの基幹としようという訴えだ。僕自身はこういう考え方は嫌いじゃない。
メインフォーラムでは渡部昇一上智大名誉教授、石破茂元防衛庁長官、亡国のイージスの福井晴敏氏らのシンポジウムに耳を傾ける。
「戦前はすべて悪だとする戦後教育そのものに問題がある。南京大虐殺も慰安婦もすべて嘘。エネルギー封鎖により日本は止むに止まれず戦いをはじめねばならなかった。アジアの安定のための戦いだ。東京裁判など成立していない。戦犯はいない。」という渡部氏。
「政治の究極の目標は平和にある。政治家は信念を曲げても、正義を曲げてでも戦争を避ける責任がある。勝てない戦争をやり、負け、国民を苦しめた政治の責任はある。軍事力は使ってしまったらすべて終わり。使わないためにどうするかを考えるべきだ」という石破氏。
「歴史の時代の中で大きな振り子が右へ左へとゆれている。現代はこの振り子が大きく左に
振り切っている状態。いかにこれを真ん中で止めるかだ」という福井氏。
「アジアに対し、相手の立場に立ち、謝るべきものは謝る所からスタートするべきだ」という石破、福井両氏に対して「謝ることなど何にもないのだ!」と突っ張る渡部氏。
僕自身は時に強く反発を感じながらも、聴きごたえのあるこのシンポジウムを見ながらいろいろな事を考えた。
多民族国家である米国や領土争いを繰り返してきた欧州では、国旗や国歌によってその結束を求める。国のアイデンティティを維持するために戦いのみならずありとあらゆる手法をとっている。わが日本は小さな島国であるから国旗国歌に固執せずともアイデンティティはそれなりに根付いているように思う。強制されずとも自然と根付いているこの国家意識こそ豊かで誇るべきものであるように思う。欧米とは違った故郷への懐古的アイデンティティといったところだろうか。日本の四季の風景の思い出、地域文化こそ日本人の原風景であろうと思う。
こういう議論をすると、結局「教育」だということになる。もちろんそれは真理だが、学校などの教育制度の問題ではなかろう。
名古屋では熱田神宮に足を運び、祈祷も行ってきた。その瞬間瞬間の厳かさ、境内の豊かな緑、鳥居をくぐった瞬間の静寂と張り詰めた空気・・・この独特の雰囲気は日本特有のものなのではないかと思う。そこにある樹齢1000年の杉から伝わる自然と歴史の雄大さ。信仰の自由を侵すつもりはまったくないが、その有無に関らず、日本人の奥底にある共通の感動ポイントなのではないかとおもったりする。
刀剣展も覗いてみたのだが、その刀の周りにあるぴりぴりとした質素な緊張感はナイフや洋剣を見ても感じるものではない。同じような話で、お吸い物の上に柚子をひとかけらなどというこの繊細さも日本ならではの美であろうと思う。ただ素直に日本ってすごーいって思うのだ。
僕は戦後世代として、もっと言えば団塊ジュニアよりもさらにあとの世代として、戦後を否定するのではなく、そこからスタートしてこのアジアの中で日本として生きていくことを希求したいと思っている。今日のecoの問題にしても、日本人の美的感性・自然とのかかわり・共生の生き方からみればより深い取り組みにつながるものと思う。
平和も環境も今、狩猟民族より農耕民族としての生き方が求められている。
政治も文化も欧米化していく中で何か大切なものを日本は失っているような気がしてならない。
月曜日には夕刻、戦後60年の記念集会に参加。連合茨城のほか、県内の平和団体が主催。一般に「左」といわれる側からの取り組みである。議論の中身は戦後60年を風化させることなく次代に引き継いでいくこと、平和を希求すること。とりわけ沖縄などの在日米軍基地を巡る日米地位協定の課題等についての提起であった。
「独立国家日本の中に、日本の手の届かないところがある。日本のあり方が問われているのではないか」
右からみても左から見ても、今、日本のあり方が問われている。平和を希求するきもちと国を愛する気持ちは共存しているし、同じものを求めているのだと僕は思っている。素直な気持ちとして繋がっているのだ。
あー、こういうこと書くの本当に気をつかうんだなー。でも、かいちゃった。
さて、今年度の青年会議所は「国家力」「道徳力」という言葉をキーワードにしている。農耕民族(狩猟ではなく共生)としてこの小さな島国に誇り高く生きてきた日本人像、清貧な生き方と敬虔な自然への畏れ、和の精神を再生し国づくりの基幹としようという訴えだ。僕自身はこういう考え方は嫌いじゃない。
メインフォーラムでは渡部昇一上智大名誉教授、石破茂元防衛庁長官、亡国のイージスの福井晴敏氏らのシンポジウムに耳を傾ける。
「戦前はすべて悪だとする戦後教育そのものに問題がある。南京大虐殺も慰安婦もすべて嘘。エネルギー封鎖により日本は止むに止まれず戦いをはじめねばならなかった。アジアの安定のための戦いだ。東京裁判など成立していない。戦犯はいない。」という渡部氏。
「政治の究極の目標は平和にある。政治家は信念を曲げても、正義を曲げてでも戦争を避ける責任がある。勝てない戦争をやり、負け、国民を苦しめた政治の責任はある。軍事力は使ってしまったらすべて終わり。使わないためにどうするかを考えるべきだ」という石破氏。
「歴史の時代の中で大きな振り子が右へ左へとゆれている。現代はこの振り子が大きく左に
振り切っている状態。いかにこれを真ん中で止めるかだ」という福井氏。
「アジアに対し、相手の立場に立ち、謝るべきものは謝る所からスタートするべきだ」という石破、福井両氏に対して「謝ることなど何にもないのだ!」と突っ張る渡部氏。
僕自身は時に強く反発を感じながらも、聴きごたえのあるこのシンポジウムを見ながらいろいろな事を考えた。
多民族国家である米国や領土争いを繰り返してきた欧州では、国旗や国歌によってその結束を求める。国のアイデンティティを維持するために戦いのみならずありとあらゆる手法をとっている。わが日本は小さな島国であるから国旗国歌に固執せずともアイデンティティはそれなりに根付いているように思う。強制されずとも自然と根付いているこの国家意識こそ豊かで誇るべきものであるように思う。欧米とは違った故郷への懐古的アイデンティティといったところだろうか。日本の四季の風景の思い出、地域文化こそ日本人の原風景であろうと思う。
こういう議論をすると、結局「教育」だということになる。もちろんそれは真理だが、学校などの教育制度の問題ではなかろう。
名古屋では熱田神宮に足を運び、祈祷も行ってきた。その瞬間瞬間の厳かさ、境内の豊かな緑、鳥居をくぐった瞬間の静寂と張り詰めた空気・・・この独特の雰囲気は日本特有のものなのではないかと思う。そこにある樹齢1000年の杉から伝わる自然と歴史の雄大さ。信仰の自由を侵すつもりはまったくないが、その有無に関らず、日本人の奥底にある共通の感動ポイントなのではないかとおもったりする。
刀剣展も覗いてみたのだが、その刀の周りにあるぴりぴりとした質素な緊張感はナイフや洋剣を見ても感じるものではない。同じような話で、お吸い物の上に柚子をひとかけらなどというこの繊細さも日本ならではの美であろうと思う。ただ素直に日本ってすごーいって思うのだ。
僕は戦後世代として、もっと言えば団塊ジュニアよりもさらにあとの世代として、戦後を否定するのではなく、そこからスタートしてこのアジアの中で日本として生きていくことを希求したいと思っている。今日のecoの問題にしても、日本人の美的感性・自然とのかかわり・共生の生き方からみればより深い取り組みにつながるものと思う。
平和も環境も今、狩猟民族より農耕民族としての生き方が求められている。
政治も文化も欧米化していく中で何か大切なものを日本は失っているような気がしてならない。
月曜日には夕刻、戦後60年の記念集会に参加。連合茨城のほか、県内の平和団体が主催。一般に「左」といわれる側からの取り組みである。議論の中身は戦後60年を風化させることなく次代に引き継いでいくこと、平和を希求すること。とりわけ沖縄などの在日米軍基地を巡る日米地位協定の課題等についての提起であった。
「独立国家日本の中に、日本の手の届かないところがある。日本のあり方が問われているのではないか」
右からみても左から見ても、今、日本のあり方が問われている。平和を希求するきもちと国を愛する気持ちは共存しているし、同じものを求めているのだと僕は思っている。素直な気持ちとして繋がっているのだ。
あー、こういうこと書くの本当に気をつかうんだなー。でも、かいちゃった。
2005年07月22日
at 23:20 Permalink
ものさしのはなし。
ものごとは測り方によってまったく意味が変わってくるんだと思う・・・というわけで今日はそんな話。
水戸市には世界に誇る水戸芸術館がある。吉田秀和館長や森英恵氏などが運営に携わり、演劇、音楽、近代美術・・・世界の超一流が、オノヨーコ、唐十郎等々とにかくそうそうたる顔ぶれがこの水戸を訪れ芸術館を舞台に表現活動を行う。水戸市は年間予算の1%程度を芸術予算に振り分けるという、故佐川市長のサガワイズムいっぱいの個性的な取り組みで僕は高く評価している。芸術に金はかかる。「ギャラが高すぎる」というご意見もあるわけだが僕はちょっと考えが違う。
昨日の晩、水戸市の千波湖のほとりで世界の小澤征爾氏がタクトを振る水戸室内管弦楽団の屋外ビジョン生中継が実現した。チケットが取れない、敷居が高すぎるといわれつづけている芸術館が努力をし、実現した格好。おそらく世界初の凄いことなんだろう。
そして今日は子供のための音楽開。武道館に場所を移して市内のすべての小学生の為にリハーサル風景を見せてくれた。小澤征爾さんご自身が曲の紹介や楽器の紹介、楽団の紹介、ご自身の話などを面白おかしくお話をされる。子供たちにとって目の前で本物に触れることの出来るこの取り組みは何物にも替えがたい。
昨年の新潟の震災の時、小澤氏は水戸室内管弦楽団をつれて慰問演奏に出かけられた。テレビを通じてわれわれが見たその様子、小澤さんの背中には「水戸」のロゴ。丁度水戸での子供のための音楽会の翌日のことだ。その光景を見た水戸の子供たちの感動といったら・・・。
公費での移動がビジネスクラスなのはおかしいだとかなんだとかいう意見もあるが、ものさしの使い方が違う気がする。
ヨーロッパでは都市が芸術を育てているという話を聞く。街を育て人を育てるための投資は街に潤いを与える上でも重要なことなのだと確信している。
ついでに、ものさしの話をもうひとつ。
今日は少子化対策委員会に出席。
一昨年この審議会で作った「次世代育成行動計画」の200を越す子育てや少子化対策のための事業が、昨年どのように執行されたのかの進行チェックを行うための会だ。執行部から平成16年度進捗状況の報告をもらったわけだが、これがまた物差しの当て方が間違ってる。
例えば「啓発」のためにイベントを開いて150人集まってよかったというレベルで留まっている。人数=啓発?ほんまか?
70万円かけてイベントやって市民への告知はすすんだの?イベントにはどんな人が聞きに来て、どのような効果を生んだの?
動員かけて一生懸命やって、「はいやりました、目標達成!!!」って違うよな。
評価の仕方がおかしいってのは行政共通の問題点だわな。
ものさしは使い方に注意しましょう。
水戸市には世界に誇る水戸芸術館がある。吉田秀和館長や森英恵氏などが運営に携わり、演劇、音楽、近代美術・・・世界の超一流が、オノヨーコ、唐十郎等々とにかくそうそうたる顔ぶれがこの水戸を訪れ芸術館を舞台に表現活動を行う。水戸市は年間予算の1%程度を芸術予算に振り分けるという、故佐川市長のサガワイズムいっぱいの個性的な取り組みで僕は高く評価している。芸術に金はかかる。「ギャラが高すぎる」というご意見もあるわけだが僕はちょっと考えが違う。
昨日の晩、水戸市の千波湖のほとりで世界の小澤征爾氏がタクトを振る水戸室内管弦楽団の屋外ビジョン生中継が実現した。チケットが取れない、敷居が高すぎるといわれつづけている芸術館が努力をし、実現した格好。おそらく世界初の凄いことなんだろう。
そして今日は子供のための音楽開。武道館に場所を移して市内のすべての小学生の為にリハーサル風景を見せてくれた。小澤征爾さんご自身が曲の紹介や楽器の紹介、楽団の紹介、ご自身の話などを面白おかしくお話をされる。子供たちにとって目の前で本物に触れることの出来るこの取り組みは何物にも替えがたい。
昨年の新潟の震災の時、小澤氏は水戸室内管弦楽団をつれて慰問演奏に出かけられた。テレビを通じてわれわれが見たその様子、小澤さんの背中には「水戸」のロゴ。丁度水戸での子供のための音楽会の翌日のことだ。その光景を見た水戸の子供たちの感動といったら・・・。
公費での移動がビジネスクラスなのはおかしいだとかなんだとかいう意見もあるが、ものさしの使い方が違う気がする。
ヨーロッパでは都市が芸術を育てているという話を聞く。街を育て人を育てるための投資は街に潤いを与える上でも重要なことなのだと確信している。
ついでに、ものさしの話をもうひとつ。
今日は少子化対策委員会に出席。
一昨年この審議会で作った「次世代育成行動計画」の200を越す子育てや少子化対策のための事業が、昨年どのように執行されたのかの進行チェックを行うための会だ。執行部から平成16年度進捗状況の報告をもらったわけだが、これがまた物差しの当て方が間違ってる。
例えば「啓発」のためにイベントを開いて150人集まってよかったというレベルで留まっている。人数=啓発?ほんまか?
70万円かけてイベントやって市民への告知はすすんだの?イベントにはどんな人が聞きに来て、どのような効果を生んだの?
動員かけて一生懸命やって、「はいやりました、目標達成!!!」って違うよな。
評価の仕方がおかしいってのは行政共通の問題点だわな。
ものさしは使い方に注意しましょう。
2005年07月21日
at 23:25 Permalink
映画 クランクイン

映画「夜のピクニック」。20日からクランクインし、水戸市内のみならず撮影が行われる予定の自治体では結構お祭り騒ぎ。回覧板で「是非応援を」と各家庭に告知されているようだ。
今日はわが水戸市議会の議場を用いての撮影。強行採決に対して野党議員が抵抗するそんなシーン。いつもの僕の席に違う人が座り、違う人の名前の札が立っている。なんだか不思議な感覚。張り詰めた緊張感と演出の面白さ。。。。うーん、いい感じ。
20日は水戸市医師会との意見交換会に出席。救急医療や行革と医療についてレクチャーを受ける。議論はだんだん少子化対策の問題へ。
性感染症の低年齢化は僕もこれまで議会で数度取り上げてきたが、都市部よりわれわれのような地方都市のほうが深刻。小学生まで年齢が下がっていることは衝撃的だ。性教育、感染症教育、避妊教育の三本をトータルに取り組んでいく必要性を痛感する。
大人の想いとは裏腹に子供たちは想像以上に「知っている」のだから現実に即した対応や、大学生などにお願いした若者による若者のための相談体制の確立が必要。子育て支援も大きな課題。特に病児保育への取り組みなどは子育て支援や就業支援の観点から重要だが、感染病などの危険性もあるために保育現場と医療現場の強いパートナーシップを求める。
21日は朝から文教福祉委員会。
水戸市の郊外である幼稚園5園(上大野・下大野・大場。柳河・山根)について来年度からの園児募集の打ち切りを市が表明。大きな問題だ。
数値で見るとその地域の対象年齢の子供たちが今後10年間一概に減少をしているわけではなく、むしろ問題は子供がいるにもかかわらず市立幼稚園を保護者に選択してもらえないことにある。
私立や保育園が3年保育なのに対し幼稚園は2年保育であることなど、その原因は幾つか挙げられる。集団教育の必要性は幼児の教育機関としての幼稚園であるからこそ重要。選択してもらえる幼稚園作りに向けて新たなスタートを切らない限り、水戸市の幼稚園行政はゆくゆく行き詰ることは明らか。
何故、市が直営で幼稚園を持つ必要があるのか、園児一人一人に対する(家庭の所得に応じた)財政的支援などの選択肢も含めて私立にゆだねていくことなども一つの考え方だが、公立の幼保一元化の議論なども併せて、中長期的視点に立った抜本的な制度設計が必要に思う。
2005年07月19日
at 23:20 Permalink
ミライビジョン
ミライビジョン。
水戸青年会議所で今年、発表をする予定になっている
この地域ビジョンの策定作業がいよいよ大詰め。
やりまっせー。やらなあきまへんでー。
街を動かすことが出来るのは、実は議会の中よりも
こういう外からの働きかけだったりする。
僕の中でこのビジョンのキーワードは
「生きる質を追求できる街」ということ。ライフクオリティ。
そこに具体的な施策で肉付けをしていく。素材はふんだんにある。
だいたいの方向性はまとまってきているわけだけれども
さらに市民を巻き込んだ運動体にしなければならないと思う。
内部の論議で終わらせるのはもったいない。
朝から議会報編集委員会
その後、文教福祉委員会正副委員長打ち合わせ。少子化の影響や人口の張り付の変化によって現状の幼稚園を維持することは難しくなっている。集団教育の観点から一定程度の基準を設けた適正配置、統廃合は避けられないのだが、地域にとっては「うちのまちから幼稚園がなくなる!」とそれこそ地域のメンツもんの騒ぎで慎重な対応が求められる。基準と理由付け、地域との議論の方向、現在の園児への対応、代替策、将来の人口予測等の検討を早急におこなう必要がある。幼稚園改革には、一時預かり保育の導入や近い将来での幼保一元化の議論も併せて行うことを確認。そのほか、介護保険改正についても確認し21日の委員会に備える。
大学生からなんだかよくわからんが取材を受け、その後NPO施策の立案についての打ち合わせ。やっと今年から7万6千円の予算がついた。これをどのように使って来年以降の条例制定や具体的なNPO施策に結びつけるか。現場の若手職員も水を得た魚のように動き回っている。この時代NPO等による市民参画は行政運営上の重要要素となっている。水戸市はこの点、全国的に見ても周回遅れ。僕は当選以来この部分を指摘してきてやっと動き出したところ。研究会などの立ち上げを行おうと思うが、その前に市の基本方針を作っておかなければとおもっている。
水戸青年会議所で今年、発表をする予定になっている
この地域ビジョンの策定作業がいよいよ大詰め。
やりまっせー。やらなあきまへんでー。
街を動かすことが出来るのは、実は議会の中よりも
こういう外からの働きかけだったりする。
僕の中でこのビジョンのキーワードは
「生きる質を追求できる街」ということ。ライフクオリティ。
そこに具体的な施策で肉付けをしていく。素材はふんだんにある。
だいたいの方向性はまとまってきているわけだけれども
さらに市民を巻き込んだ運動体にしなければならないと思う。
内部の論議で終わらせるのはもったいない。
朝から議会報編集委員会
その後、文教福祉委員会正副委員長打ち合わせ。少子化の影響や人口の張り付の変化によって現状の幼稚園を維持することは難しくなっている。集団教育の観点から一定程度の基準を設けた適正配置、統廃合は避けられないのだが、地域にとっては「うちのまちから幼稚園がなくなる!」とそれこそ地域のメンツもんの騒ぎで慎重な対応が求められる。基準と理由付け、地域との議論の方向、現在の園児への対応、代替策、将来の人口予測等の検討を早急におこなう必要がある。幼稚園改革には、一時預かり保育の導入や近い将来での幼保一元化の議論も併せて行うことを確認。そのほか、介護保険改正についても確認し21日の委員会に備える。
大学生からなんだかよくわからんが取材を受け、その後NPO施策の立案についての打ち合わせ。やっと今年から7万6千円の予算がついた。これをどのように使って来年以降の条例制定や具体的なNPO施策に結びつけるか。現場の若手職員も水を得た魚のように動き回っている。この時代NPO等による市民参画は行政運営上の重要要素となっている。水戸市はこの点、全国的に見ても周回遅れ。僕は当選以来この部分を指摘してきてやっと動き出したところ。研究会などの立ち上げを行おうと思うが、その前に市の基本方針を作っておかなければとおもっている。